2008年11月04日
ゆったりかめのひとりごと~3日間の見える日~
『3日間の見える日』 ヘレン・ケラー
私は、すべての人が成人してからの2~3日、全く目が見えなくなり、口がきけなくなったらいいのにと
思うことがよくありました。
暗闇は光のありがたさを、静寂は音の寂しさを教えてくれると思うからです。
時折、私は、目の見える友人が何を見ているか知りたくてテストすることがあります。
この間も森の中の長い徒歩旅行から帰ってきたばかりの友人に、
何か珍しいものでも見たかどうか尋ねてみました。
彼女の答えは「別に何も。」
1時間も森の中を歩き回って何も見ないでいられるなんてできるのだろうかと
私は自問しました。
目の見えない私には、手で触れるだけで何百という面白い物を発見することができます。
一枚の葉っぱが微妙に対照的な形をしていることを感じます。

白樺のなめらかな木の肌や、
松のゴロゴロした感じを手のひらで感じます。
春になると木の枝を触って、
冬の眠りから覚める最初の兆しである新しい芽が出ていないかどうかを探り当てることができます。
時として、本当に幸運な時には、木を触っていると、
さえずる小鳥の振動を感じたりもします。
これらすべてのことを目で見たくて、私の心は時々張り裂けそうになります。
触れるだけでこれだけの喜びを感じるのですから、
本当に見ることができたらどんなにか美しいだろうと思うのです。
そして、私に3日間の見える日が与えられたら、
何を見たいだろうかと想像してみました。
まず森の中を歩き回って、自然の世界に我が目を凝らすことでしょう。
色鮮やかな日の入りを見て祈りましょう。
そうしたら、その夜はきっと眠れないことでしょう。
日の出と共に起きて、夜が日に変わる心躍る奇跡の時を見てみましょう。
眠っている大地を覚ます太陽の光の織り成す壮大なパノラマを、
畏敬と共に眺めるでしょう。
もし、あなたに3日間の見える日が与えられたら、
あなたはそれとは別のプログラムを考えるに違いありません。
でも、もうすぐ盲目になるということがわかったなら、
あなたは今までとは違って多いに目を使う事にきっとなると思います。
あなたは、自分の目に入るすべての物に触れ、抱き抱えるでしょう。その時初めてあなたの目前に新しい
美の世界が現れるのです。
目の見えない私から、目の見えるみなさんへひとつ提案があります。
すべてのものに触れて感じてほしいのです。
明日盲目になると仮定して、今日のあなたの目をフルに使ってほしいのです。
明日嗅覚が衰えると思って花の芳香を嗅ぎ、
食べ物の一切れ、一口を、新たな食欲をもって味わってほしいのです。
明日、あなたはもう匂いを感じ、
物を味わうことができなくなると思ってあらゆる感覚をフルに活用してもらいたいのです。
いくつかの方法で自然に触れ合うことで、
あなたの前に展開される輝きや美しさ、すべての感覚の中で、視覚が最も美しいと私は思います。
*************************
ワークで配布する資料を作成していたら、
以前気功家の津村先生にいただいたヘレンケラーのエッセーの一節が出てきました。
当時一号は2歳ぐらいだったでしょうか。
早期教育を楽しんでいるつもりでしたが、
この文章や私が出会った方々のおかげで気づかされ
いつかわからない幸福のためよりも、
今この瞬間を味わいつくそう楽しもうという意識にシフトするきっかけとなりました。
右脳が開いた人(サイキック)のそばにいくと
鍛錬も修行もしなくても自然に開くということも教わりました
つまり、もともと開いている子供達の能力を閉じてしまわない事なんだ・・・
おかあさんが「こうあるべき」「~しなくてはならない」「~してはいけない」
そういう価値観を少しづつ緩めていくひとつの通過儀礼なのかもしれません・・・。
私は、すべての人が成人してからの2~3日、全く目が見えなくなり、口がきけなくなったらいいのにと
思うことがよくありました。
暗闇は光のありがたさを、静寂は音の寂しさを教えてくれると思うからです。
時折、私は、目の見える友人が何を見ているか知りたくてテストすることがあります。
この間も森の中の長い徒歩旅行から帰ってきたばかりの友人に、
何か珍しいものでも見たかどうか尋ねてみました。
彼女の答えは「別に何も。」
1時間も森の中を歩き回って何も見ないでいられるなんてできるのだろうかと
私は自問しました。
目の見えない私には、手で触れるだけで何百という面白い物を発見することができます。
一枚の葉っぱが微妙に対照的な形をしていることを感じます。

白樺のなめらかな木の肌や、
松のゴロゴロした感じを手のひらで感じます。
春になると木の枝を触って、
冬の眠りから覚める最初の兆しである新しい芽が出ていないかどうかを探り当てることができます。
時として、本当に幸運な時には、木を触っていると、
さえずる小鳥の振動を感じたりもします。
これらすべてのことを目で見たくて、私の心は時々張り裂けそうになります。
触れるだけでこれだけの喜びを感じるのですから、
本当に見ることができたらどんなにか美しいだろうと思うのです。
そして、私に3日間の見える日が与えられたら、
何を見たいだろうかと想像してみました。
まず森の中を歩き回って、自然の世界に我が目を凝らすことでしょう。
色鮮やかな日の入りを見て祈りましょう。
そうしたら、その夜はきっと眠れないことでしょう。
日の出と共に起きて、夜が日に変わる心躍る奇跡の時を見てみましょう。
眠っている大地を覚ます太陽の光の織り成す壮大なパノラマを、
畏敬と共に眺めるでしょう。
もし、あなたに3日間の見える日が与えられたら、
あなたはそれとは別のプログラムを考えるに違いありません。
でも、もうすぐ盲目になるということがわかったなら、
あなたは今までとは違って多いに目を使う事にきっとなると思います。
あなたは、自分の目に入るすべての物に触れ、抱き抱えるでしょう。その時初めてあなたの目前に新しい
美の世界が現れるのです。
目の見えない私から、目の見えるみなさんへひとつ提案があります。
すべてのものに触れて感じてほしいのです。
明日盲目になると仮定して、今日のあなたの目をフルに使ってほしいのです。
明日嗅覚が衰えると思って花の芳香を嗅ぎ、
食べ物の一切れ、一口を、新たな食欲をもって味わってほしいのです。
明日、あなたはもう匂いを感じ、
物を味わうことができなくなると思ってあらゆる感覚をフルに活用してもらいたいのです。
いくつかの方法で自然に触れ合うことで、
あなたの前に展開される輝きや美しさ、すべての感覚の中で、視覚が最も美しいと私は思います。
*************************
ワークで配布する資料を作成していたら、
以前気功家の津村先生にいただいたヘレンケラーのエッセーの一節が出てきました。
当時一号は2歳ぐらいだったでしょうか。
早期教育を楽しんでいるつもりでしたが、
この文章や私が出会った方々のおかげで気づかされ
いつかわからない幸福のためよりも、
今この瞬間を味わいつくそう楽しもうという意識にシフトするきっかけとなりました。
右脳が開いた人(サイキック)のそばにいくと
鍛錬も修行もしなくても自然に開くということも教わりました
つまり、もともと開いている子供達の能力を閉じてしまわない事なんだ・・・
おかあさんが「こうあるべき」「~しなくてはならない」「~してはいけない」
そういう価値観を少しづつ緩めていくひとつの通過儀礼なのかもしれません・・・。
だれでもみにくいあひるのこだったことがある
あなたがわたしを育ててくれる
皆様にとって素晴らしい一年でありますように!
ゆったりかめのひとりごと ~招待~
ゆったりかめのひとりごと~私には夢がある;オバマ氏当選~
ゆったりかめのひとりごと ~ハチドリの物語~
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